A wonderful place 1



運の尽き、ってやつだな。


小枝の折れる音が耳に届いた瞬間、そう悟った。
ひょっとしたら、って思ってたけど。運が良ければ、と思っていたけど。
でも、やっぱ駄目だったか。
ゼルが溜息を吐いて身体を起こす。雨の日に本格的な狩をする捕食獣はいない。探す獲物の匂いが水に
流れてしまう日に、獣は出歩いたりしないのだ。
だけど、むざむざと至近距離に入ってきた獲物がいれば。しかもその獲物が、手負いときたら。
そうなれば、話は全く違うのだ。

もし、運良く近くに捕食獣がいなければ。
そうしたら、夜が明けるまで生き延びられる。明日になれば、雨も多分止むだろう。視界が明るく開ければ、
何とか自力で森を抜けられるかもしれない。そう思っていた。
だけど、俺はツイて無かった。
木の幹で身体を支えながら、もう全く力の入らない右足を引き摺って立ち上がった。
自分の遥か頭上で、枝葉の擦り合う音がする。枯れ枝を踏み割る音が、どんどん大きくなっていく。
畜生。益々ツイてねぇ。
陰鬱な気分で思った。あれだけの高さの枝を揺らせる獣。踏んだ小枝が、自らの重みで音を立てて
へし折れる獣。そんな巨大な獣は、この森には一種類しかない。
アルケオダイノス。
太古の時代からただ一種、その鋭い牙と爪で生き延びてきた大型肉食恐竜。
グローブを改めてしっかり嵌め直した。しょうがねえ。とにかく、やれるとこまでやるしかねぇ。
軽く眼を閉じ、一回深く深呼吸する。そして、ゆっくりと瞼を開けた。


その瞬間、目の前に閃光が走った。


青白い光が、暗闇に埋もれていた木々を白く照らす。その光に包まれて、耳をつんざくような獣の咆哮が
周囲に響き渡る。また閃光が走った。それが消えると同時に、辺りの樹木をメキメキと巻き込こみながら、
何か大きなものが倒れる音がする。息を呑んで立ち尽くした。この光は。
闇に還った森の中、慌しく木々を掻き分ける音がする。近寄る足音。蔓の絡まる小枝を、もどかしげに
切り裂く音。

「ゼル!!」

ガンブレードで小枝をなぎ払ったスコールが、正面から叫ぶように自分の名を呼んだ。



スコールがつかつかと歩み寄ってくる。端正な顔を蒼白に強張らせたまま、一直線にゼルに近寄っていく。
思わず後ずさるゼルの襟首を、大きな両手でぐいと掴みあげる。そして、全身から搾り出すように叫んだ。


「誰が、こんな事をしろと言った!!!」


がっちりと節立った逞しい手が、ゼルの身体をガクガクと揺さぶる。
「誰が、こんな事をしろと言った!こんな天気の中、お前に竜の牙を取りに行けなんて言った!!そんな事、
俺は一言も言ってない!!そんな事、一言も頼んでない!!」
蒼い瞳に怒りに燃え上がらせながら、スコールが叫ぶ。言い終ると同時に、ゼルの背中を木の幹に叩き
付けるように押し付け、低く押し殺した声で話し始める。
「・・・どれだけ探したと思ってる。どれだけ、心配したと思ってる。お前がどこにもいなくて。お前が、
俺の為に出て行ったって聞かされて。どれだけ、俺が心配したと思ってるんだ!!何が俺の為だ!いつ、
俺がそんな事を頼んだ!!あんなもの、俺はいつだって手に入れられる!!何で、お前が・・・!!!」


・・・・あぁ俺、ほんともう駄目だなぁ・・・


激しく身体を揺さぶられながら、ゼルが眼を伏せて思う。
スコールが自分を糾弾する度に、心臓が鋭利な刃物で切裂かれるようだった。ぶつけられる非難の
一つ一つが、鞭のように自分の心を打ち据えていく。何も反論出来なかった。そうだよな、と思った。
そうだよな。お前、そんな事頼んでねぇよな。俺が、勝手に先走っただけだよな。
俺が勝手に飛び出して。勝手に怪我して。勝手に戻れなくなっただけだよな。

それを、自分の為みてぇに恩着せがましく言われて。
疲れて帰って来たってのに、こんなとこまで探させられて。
怒鳴りたくもなるよな。頭くるよな。迷惑だよな。
こんな奴、もう顔も見たくねぇって思うよな。

熱い塊がぐっと喉にこみ上げてきた。必死でそれを飲み込んだ。何とか嗚咽を外に漏らすまいとした。
ああ。もう、まじで駄目だ。俺が自分で、引導渡しちまった。
こいつに、腹の底から嫌われちまった。


喉元をきつく締め上げる自分の手に、ゼルが辛そうに眉を顰める。それでも、手の力を緩める事は出来な
かった。さっきまで感じていた痛みと恐怖で、頭の中は滅茶苦茶だった。
あの時、ゼルが自分の為に出て行ったと聞かされた時の、あの衝撃。この悪天候の中、出て行ったっきり
だと知った時の、あの恐怖。
吐きそうになった。それが示す最悪の結果を考えただけで、頭がおかしくなりそうだった。
俺のせい。俺のせいで。もし、俺のせいでゼルが。
物も言わずガーデンを飛び出した。外出許可証を求める守衛の声を完全に振り切り、ゲートをぶち破る
ようにジープのアクセルを力いっぱい踏み込んだ。

耐えられない、と思った。
自分の為に、ゼルが死ぬ。そんな事になれば、自分は気が狂ってしまうと思った。
目の眩むような焦燥に駆られながら、暗い森の中をゼルの姿を求めて探し続けた。
俺のせいで。俺のせいで。俺のせいで。
頭の中を、その言葉が狂ったように回る。どうしてだ、と叫ぶように思った。
どうしてだ。そんなつもりじゃなかった。そんなつもりじゃ、なかったのに。

何の気なしに言った「困った」の一言。
けれど、そんなつもりは全くなかった。何とか時間を遣り繰りして、自分で獲りに行こうと思っていた。
それなのに、ゼルの友人だという男は、あんたがそうさせたんだ、と言わんばかりの口調でこう言った。

「スコールは忙しいからって。また直ぐ任務があるだろうから、急いで補充してやりたいって。
・・・・だってあんた、伝説のSeeD様だもんな!!」

最後に叫ばれた捨て台詞が、ぐさりと自分の胸をえぐった。
そんなつもりはない。そんなつもりで言ったのでは、決してない。自分は「伝説のSeeD」だから。
お前とは違う、多忙なガーデンの代表者だから。だから、アイテムを獲りにいく暇なんか無い。
決して、そんな意味で言ったのではなかった。
まして、それでゼルにプレッシャーをかけるつもりなど、全然無かった。



けれど、ゼルはそう思ったのだ。



血が滲むほど唇を強く噛み締めた。
けれど、ゼルはそう思ったのだ。俺が、暗にアイテムを獲りに行く事を要求していると思ったのだ。
馬鹿みたいにお人好しな男だから、早く手に入れてやらねばと思ったのだ。
それでこの悪天候の中、必死で探し続けたのだ。さっきの光景が胸に蘇ってきた。今にも獲物に飛び
掛ろうとする体勢のアルケオダイノス。その先にちらりと覗いた金色の頭。それが眼に入った瞬間、
心臓が凍りついた。一瞬の間も置かず飛び込んで、その強靭な首を掻き切った。あれがあと一歩でも
遅かったら、今頃ゼルは無残な死骸となって雨の森に転がっていただろう。
ただ一言、自分が「困った」と言ったせいで

自分で自分が抑えられなくなった。
自分の発言を、そんな風に受け取られた事。そのせいで、ゼルが後先考えず飛び出したこと。あと少しで、
死んでしまうところだった事。その全部が、激しい怒りとなって全身を震わせた。その怒りに突き動か
されるように、ゼルの顔に触れんばかりに顔を近づけて怒鳴った。
「・・・・言え!!!何でこんな事をした・・・!!」



「・・・・・ごめ・・・・」


泣き出しそうな声が胸元から聞こえた。
思わずハッと手を離した。重心を崩したゼルが、ふらりと木の幹に寄りかかる。
「・・・っごめん・・・っ」
崩れ落ちる身体をようやっと支えながら、ゼルが震える声で謝る。
「・・・・っおれ・・・・」
ぐっと苦しげに息を飲み込み、やっと切れ切れに話し出す


「・・・おれ・・・お前が、笑ってくれるんじゃねぇか、って・・・・」


「俺が、笑う・・・?」
意味が分からず問い返した。うん、とゼルが小さく頷く。と、突然ふいに思い切ったように金色の頭を上げ、
何かを振り切るようにきっぱりと話し始める。
「スコール、ほんとはもう俺のこと、うぜぇんだよな。だから最近笑わねぇし、眼も合わせねぇんだよな。
・・・ま、分かるんだけどよ。俺、ほんと煩せぇし。お前が嫌んなっても、しょうがねぇのかもな。」
へへ、とゼルが寂しげに笑う。いったん呼吸を整えなおし、でもさ、と震える声で話を続ける。
「・・・でもさ、俺はさ、そうじゃねぇんだよ。お前と、ずっと友達でいてぇんだよ。」
勝気そうな青い瞳に、みるみる涙が溜まってくる。傷だらけの白い指が、それを慌ててゴシゴシと拭う。
「・・・お前が、笑ってくれるんじゃねえかって。竜の牙獲ってくれば、お前ともう一度仲良くなれるんじゃ
ねぇかなって。だってお前、困ってたから。」
ごめんな、とゼルがまた苦しげな顔で笑う。
「俺、そういう狡りぃ計算したんだよ。お前に良く思われたくて、腹ん中で計算したんだよ。だから、
お前のせいじゃねぇんだ。全然、違ぇんだよ。ごめん。迷惑かけて。スコール、迷惑かけてごめんな・・・」


スコールが呆然と立ち尽くす。今聞かされた話に、脳天を思い切り殴られたような気がした。
声も出なかった。そうだ。確かに自分は笑わなくなった。ゼルと視線を合わせる事すらしなくなった。
だけど、それはゼルのせいじゃない。
笑わなくなったのは、ただ自分が辛かったからだ。報われる事の無い恋をした、自分が惨めだったからだ。
視線を逸らし続けたのは、恐れたからだ。自分の想いがばれる事を。自分の歪んだ欲情が、僅かでも
漏れてしまう事を。
ばれればきっと、嫌悪の表情で後退りされる。そのまま、後ろも見ずに駆け出されてしまう。そして二度と、
自分の元へは戻ってこない。
その残酷な予想が現実になるのを、何よりも恐れたからだ。

けれど、それをゼルがどう思うか。

何をしても笑顔一つ見せず、話し掛けられれば迷惑そうに眼を逸らす。そんな事を繰り返されれば、
ゼルがどう思うか。それを、どう捉えるか。
そんな簡単な事に、どうして気付かなかったのか。
「・・・めん・・・ほんと・・・わりぃ・・・」
ゼルが顔を伏せて謝り続ける。その憐れな様子に、胸が潰れそうになった。




解放してやろう。




ふっと、そう決意した。
解放してやろう。その苦しみから、ゼルを解放してやろう。それが、俺の責任だ。自分勝手な理由で
ゼルを苦しめた、俺の義務だ。
涙を堪えるゼルの姿をじっと見下す。ごめん、と小さく胸の中で呟いた。
ごめん。辛かったな。もう、大丈夫だから。俺がその辛さから、解放してやるから。お前のせいじゃ
ないって、今から教えてやるから。
ただ、俺がお前を好きになっただけだって。
お前の恋人になれないのが、苦しかっただけだって。
そう、お前に告白するから。





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